(短編小説)Seven Days of Falling

 
  Seven Days of Falling  
                         乃村 寧音


 その晩は久しぶりに、学生時代の軽音楽サークルの仲間が集まって、渋谷で飲んでいた。
 わたしがいた頃はバンドが七~八団体所属し、行き来も多くて楽しくやっていた。プロ志向の者も少しはいたが、大半は大学に入ってから楽器を始めたような学生たちで、どちらかといえば気楽な雰囲気のサークルだった。
「みんな、何してるんだろうね」
 誰かが言い出した。昔の仲間が集まると出てくる定番の話題。
 大学を卒業して十年も経てば、みな学生のころとは違う自分の世界で暮らしているので、共通の話題は少なくなってくる。そんな中せっかく昔の仲間が集まるのだから、昔の話や、昔の友人たちの話になるのは自然なことだ。
「ねー、佳奈美(かなみ)は誰かに会ったりしてる?」
 千夏(ちか)に話を振られた。
「全然。誰とも会わないなぁ」
「そうだよね」
「そうなんだ。女子同士は、たまに会ったりしてるんだと思ってた」
 和弘(かずひろ)がグラス片手に話に入ってきた。
「わたしと佳奈美はたまに会ってるけど。だからってわざわざみんなを誘ったりは、普段はしないよね。結婚して子供が小さい人もいるし……」
 千夏とわたしは独身で、大学を卒業した時に入った会社で今も働いている。だからというわけでもないが、たまに誘い合って一緒に飲んだりしている。千夏には付き合いの長い彼氏がいるから、もしかしたら近々結婚するのかもしれない。わたしにはそういう相手はいないのだが。
「まあ、そうか。そうだよな」
 和宏がバーボンを飲みながら言った。昔から酒に強い男で酔ったところを一度も見たことがない。そのせいか、いつも潰れたメンバーを介抱する役回りになっていた。
 今回、メンバーを集めたのは和弘だ。現在は公務員で、学生の頃は軽音楽部の代表だった。その関係で今も大学と繋がりがあり、何かあるとこうやって音頭を取ってくれる。今回はサークルが三十周年を迎えるにあたって相談もあるとかで、来られる人間が集まった感じだった。
「そうだよな。男もまず滅多に集まることなんかないからな。今日は集まりが良くてよかったよ。遠くから来てくれた奴もいるし」
 和弘が男同士で盛り上がっている集団を見やりながら言った。
「連絡、けっこう大変だったんじゃない?」
 千夏がねぎらうように言う。
「まあね。今回は一応、全員に声かけようと思ってさ。メールで連絡がつく人間はそれで済ませたけど、中にはアドレスが変わっちゃってるやつもいて、その場合はわかる範囲で実家に葉書を出したりもしたからなあ」
「えーそれじゃ、本当に大変だったんだね。葉書代とか、大丈夫?」
「そういうのは現役のサークル予算から出ることになってるんだ。でも請求するのもバカバカしいくらい微々たる額だけど」
 こうしてみんながしゃべっているのを聞いていると、頭の中が昔に戻ってしまい、今を忘れてしまいそうになる。印象はそれほど変わらない気がするから余計に。
 千夏が別の輪に誘われて向きを変えたので、和弘と二人になった。近くで見ると、眼鏡でまじめな風貌なのは昔と同じだけど、やはり年数分年を取った……というよりは、社会人の垢がついてきた、という感じがした。
 それはわたしも同じなんだろうな、と思うけれど。
 男の場合はそれも、頼り甲斐が出てきたと言い換えることもできるけど、女の場合はどうなんだろう。
「佳奈美も変わらないなぁ」
「和弘も変わらないよ」
「そっか? 俺なんかダメだよ。運動とかさっぱりしてないし」
「そう? 別に太ってないしいいじゃない」
「筋トレでもしようかなとか思ってるよ。そろそろ本気で婚活しないとさ」
「男はまだまだでしょ」
「そんなこともないよ。佳奈美は、彼氏いるの?」
「いないよ。知ってるじゃん、わたしがぜんぜんモテないってことは」
 わたしは笑いながら言ったけど、和弘はそんなに笑ってなかった。
「そんなことはないと思うけど。そっか。じゃあさ……、この後少し二人で話さない?」
「いいけど、何を話すの?」
「うーん。なんでお互い恋人ができないのか、とかそういう話かな」
「何それ。傷の舐め合い?」
 そんなことを言っていると千夏が戻ってきた。
「ねえねえ、内藤ってさ、もうバツ2なんだって」
 昔のメンバーの噂話に興じてきたらしい。
「へえ。あいつ昔からモテてたもんなあ」
「えー、男から見たらそういう評価なの?」
「だって結婚しなかったら離婚もできないだろ」
 和弘と千夏は笑いながら話している。わたしはそんなどうだっていい噂話に相槌を打ちながら、次第に思考が昔へ飛んでいくのを感じていた。
 少しアルコールが回ってきたのかもしれない。
 久しぶりに、あの頃のメンバーが集まっている。
 わたしが聞きたいのは……そんな噂話じゃない。
「ほんとみんな、何してるんだろうねえ」
 千夏が言う。求めているのはたぶん、次の話題。和弘はここに腰を落ち着けている。とりあえず移動する気は無いみたいだ。
「……そうだね。みんな、何してるんだろうね」
 わたしは呟いた。
 十年経ったのだから、千夏や和弘に、ちゃんと訊いてみても良いような気がする。
 凛人(りんと)のことを。
 
 大学三年の、夏休みの初日。サークル仲間が大勢集まっての飲み会があった。
 和弘も、千夏もいた。あの頃はみんな、自分の量も知らず無茶な飲み方をしていて、潰れる人間が何人もいた。
 その晩はわたしもその一人だった。彼氏に振られたばかりだったのだ。
 宴会のどの辺りで千夏や和弘たちと別れたのか覚えていない。気が付いたら凛人と二人きりになっていた。
 凛人の家に行ったのはわたしが酔っていたからで、別に無理やり連れ込まれたわけじゃない。
 住宅街の中の細い道を何度か曲がって、駅からの距離がわからなくなった頃に、暗い路上で抱き寄せられてキスされた。これはそういうことなのかなと思いながらも、普段の判断力が故障していたわたしはそのままついていった。
「水、ちょうだい」
「うん」
 会話はそれくらいだったように思う。ボルヴィックのペットボトルを手渡されて飲んだ。ちょっと落ち着くと、奥の部屋に連れていかれた。凛人の部屋はマンションの角部屋に位置する1DKで、寝室とリビングは別になっていた。
 するすると裸にされて、凛人も脱いで、抱き合った。凛人は肌がとてもきれいだった。
 戸惑いや不安が全く無かったわけではないけれど、どこか薄ぼんやりしていたし、流れに逆らえる感じがなくてそのまま川下まで来てしまった気がした。そこがどういうところか、想像もしないまま。
 だから。
 目覚めたとき、何がなんだか、さっぱりわからなかった。
(ん……。何、これ)
 手首に違和感がある。動かせない。見ると左手首に手錠が取り付けられ、その鎖の先はベッドに繋がれていた。
 引っ張ってみても外れない。手錠はおもちゃのようにも見えるけれど、鍵がかかっているらしくどうやっても開かない。
 焦ってガチャガチャやってみたけれど無駄で、周囲を見回した。
 寝室のドアは閉まっている。当然そこまでは行けない。そもそもベッドから降りられない。開けられない位置にある窓のカーテンも閉まっていたが、薄明りは漏れていたのできっと朝なんだろうとは思った。
 部屋の中に凛人はいなかったが、耳を澄ますとどこからか水音がして、しばらくすると音が止み、足音がしてドアが開いた。
「ねえ、これ何なの? 早く外してよ」
 わたしは強い調子で言った。最初は何かの冗談か、記憶にはないけれど夜に少しおかしなプレイをしてそのままなんだと思っていた。凛人はシャワーを浴びてきたのか、バスタオルで髪を拭きながらわたしをじっと見ていた。
 どちらかというと色白な男で、瞳の色も少し薄い。切れ長の細い目であることを除けば、外国人の血が混ざっていると聞かされても不思議ではない雰囲気だった。体はそれほど大きくなく、どちらかというと痩せていた。
「どうして?」
 凛人は逆に、聞き返してきた。
「え?」
 意味がわからなかった。こんなもの、外してもらいたいに決まっているではないか。
「佳奈美ちゃんは、ここにいなよ。だって、死にたいんでしょ? 昨日の晩、ずっとそう言ってたよ。だから連れてきたんだ」
 確かにそんなことは言ったかもしれない。彼氏に振られてつらかったからだ。別れ際にしつこくしたせいで思いきり嫌われて、携帯電話も着信拒否された。それからまだ二週間も経っておらず、傷口が濡れ濡れとしている時期だった。夏休み前という、楽しいイベントか多いはずの時期にこっぴどく振られたわけで、わたしは確かに「死にたい」としきりに言っていたかもしれない。
 でも「死にたい」と言うことと、本当に死んでしまうことの間には、かなり大きくて深い溝があると思う。
(だって……だからといって、これは)
 いくなんでも、ベッドに拘束するなんて。おまけに裸だ。周囲にわたしの服は見当たらない。
「嘘だよ、死にたいなんて」
「そうでもないんじゃないかな。本当に落ち込んでたじゃん。歩道橋の上で、ここから飛び降りようかなって言ってたよ」
 そうだとしても、きっと本気ではなかっただろう。お酒もだいぶ飲んでいたし。勢いというやつだ。
「そんなことどうだっていいよ。とにかく、早くこれ外してよ」
「ダメだよ。外さない。だって外したら、すぐにここから出ていくんだろ?」
「当り前じゃない。こんな、鎖なんかつけられて、嫌に決まってるでしょ。それに、家に帰らなきゃ」
 言いながら段々、怖くなってきた。
 壁にものを言っているような気がする。意思が伝わらない気がする。
(何なの? 凛人って、もしかしてちょっとおかしいの……?)
「まだ、ここにいたほうがいい。今、出て行っちゃダメだ」
 凛人の目つきが変わった。諭すように、可哀想なものでも見るかのようにわたしを見ている。
「ここにいるなら、優しくしてあげるから」
「何それ、そんなのいらない。とにかく早く、外して」
「七日間は、ここにいなきゃダメだ」
「七日間? なんで?」
 凛人は答えず、寝室のドアを閉めてしまった。

 片手を繋がれていると、何もできないとわかった。ごろんと寝転んでいるしかない。
 必死に引っ張ったり暴れたりしているうちに、手首が傷ついて、動かすのも痛くなってしまった。
 時計も携帯もないから、どれくらいの時間が流れているのかもわからない。
 途中で何度か凛人を呼んでみたけれど返事がなく、ベッドが置いてある側の壁を叩いて助けを呼ぼうとしたものの、ここは角部屋だったと気が付きやめた。
 夜中に来たので、窓の外がどうなっているのかもわからない。外からの音が全くしないということは、こっちから叫んでも誰もいない、聞こえない場所なのかもしれない。
(どうしてこんなことに……)
 運の悪いことに、夏休みに入ったばかりで学校もなく、友達との約束も皆無だった。独り暮らしだし、別れた彼氏はアルバイト先で出会った人で、だからそれも辞めたばかりだった。一週間くらいは本当に、誰もわたしが行方不明になったことに気が付いてくれない気がした。下手すれば、もっと。
(本当に、七日間が過ぎれば帰してもらえるの?)
 ドアの向こうで音がしたかと思うと、静かに開いた。
「トイレ行きたい?」
「うん……」
 鎖は外してもらえたけれど逃げられる気はしなくて、ぐったりしながらトイレに行き、促されてベッドに戻った。ほんのわずかの間に、体力がずいぶん減っている気がした。
(なんでこんなに、だるいの……)
「眠ったほうがいい」
 凛人が言った。
「こんな状態で眠れるわけがないでしょ」
「でも、眠ったほうがいいよ。俺は、バイトに行ってくるから」
 再び手首を繋がれそうになって、わたしは言った。
「せめて、足にしてくれないかな。たぶんそのほうが楽だから」
 もし凛人が異常なんだとしたらあまり刺激するのはまずいのじゃないかと思い始めた。それに、手首は擦れて痛くなってしまったので、繋がれるにしても別の場所が良かった。
「それは構わないけど」
 鎖は左足首に取り付けられた。
「このほうが寝られるかも」
 わたしが言うと、
「それなら良かった」
 と、凛人がいつもの感じで笑った。

 本当に眠れてしまった。
 しばらくぶりに深い眠りだった。
 彼氏に振られたことが響いていてろくに眠れていなかったのだけど、ベッドに横になって体を丸くし、ひたすら静かに呼吸をしていたらなぜかすうっと眠れた。
 壁の色はベージュで、カーテンの色はモスグリーン、シーツの色は紺だった。夏なので水色のタオルケットが置いてあり、裸なのでそれを被ってくるまって眠った。
 凛人が帰ってきた音で目を覚ました。寝室のドアがそっと開けられ、凛人が顔を出したので、体を起こした。
「眠れた?」
「うん」
「お腹空いた?」
「少し」
 リビングに出してもらった。きれい好きなのか、家の中はどこも清潔で片付いていた。
 白っぽいラグマットの上に、木目調のリビングテーブル、それにブラウンの革張りのフロアカウチソファーとリーフ柄のクッションがいくつか。
 何かが過剰だったり、足りなかったりしなかった。それでいて、何もない感じがした。
 そこに、猫が一匹いた。飼ってるの? と尋ねると凛人は頷いて、グレイって言うんだ、と答えた。名前の通り、きれいな艶のある灰色の猫だった。
「バイトって、どこでしてるの?」
 なんとなく訊いてみた。
「コンビニ」
「そうなんだ」
 テーブルの上にはコンビニの袋が置いてあった。
 凛人は袋の中のものをどさっとテーブルに出した。おにぎりとパンと甘いもの、それにサラダと牛乳とミネラルウォーターが入っていた。
「あ、牛乳、濃いやつだ」
「濃いの好き?」
「うん。いつもお店で一番濃いのを買うの」
 凛人はコップを持ってきて、牛乳を注いでくれた。わたしは蒸しパンを食べて、牛乳を二杯飲んだ。凛人は何も食べなかった。
 食べ終わって、歯磨きしたい、というと歯ブラシを出してくれた。
「ねえ、動きずらいよ」
 わたしは文句を言った。どこへ移動するにも、タオルケットを被ったままになってしまうので、鬱陶しかった。
「じゃあ、裸でいいじゃん」
 凛人が笑うので、腹が立った。
「嫌だよ」
「でも、もう全部見ちゃったよ。遠慮しないで出しておけば?」
「そんなことより、服を返してよ」
「ここを出る時に、ちゃんと返すよ。さて、戻ろう」
 寝室に連れていかれて、ベッドに繋がれた。
(やっぱり、どうかしてる。こんなことするなんて)
 薄暗い部屋にひとり置かれてしまうと、何もすることがない。手が届く範囲には何もない。
 こうやっていると、段々眠くなる。体中がだるく、重くなる。横になると、まるでベッドに身体が沈み込んでいくようだった。
 眠りの世界に半分くらい引き込まれた頃、身体の横に柔らかなものが当たった。そっと指で触ると暖かくて、生き物だとわかった。
(あ。グレイ)
 生き物の感触は心地よい。撫でまわしているうちに、やはり眠ってしまった。
 いくら寝ても眠いなんて、初めてのことだった。目を覚まして少しすると、再び眠くなってしまう。何度目かの目覚めで、わたしはいったい自分がどれくらいの時間ここにいるのか、完全にわからなくなってしまった。
 たぶん、シャワーを一度浴びた。トイレにも行った。牛乳を飲んだ。それ以外のことは、たぶんしていない。
 しまいには、朝なのか夜なのかもわからなくなってしまった。光を遮られた部屋の中で、時間構わず寝てばかりいると感覚が狂うようだ。
(なんか……。嫌だ。怖い)
 状況に対する恐怖はそれほど感じなくなっていて、感覚がおかしくなることのほうが怖かった。

 ふと目を覚ました。やはり朝なのか夜なのかわからない。
 グレイも、もういなかった。隣の部屋でも物音がしない。静まり返っている。誰もいない気がした。
 わたしはとうとう泣き出してしまった。
 暗いのは光が入らないせいかもしれないが、真っ暗なので夜かもしれない。しゃくりあげていると、寝室の扉が開いた。
「泣いてるの?」
 凛人だった。わたしは身体を起こして頷いた。
「どうしたの」
「助けて。もうわたしをここから出して」
「まだ少し早いよ。我慢して。泣いてもいいから」
 凛人がベッドに腰掛けて、そっとわたしの身体を撫でた。それは不思議と嫌じゃなくて、落ち着いた。
「じゃあ、ここにいてよ。どこにも行かないで……」
「いいけど……」
 最初のときみたいに、キスをした。
 違和感がないままピタリと塞がれる感じが、別れた彼とは全く違っていた。どうしてこんな風にできるのかわからない。合わせ目を舐められると自然に開いて、受け入れてしまった。
 キスをしながら、凛人ってどんな人だっけ、と考えていた。同じサークルにいたというだけで、よく考えたら学部も知らない。それほど話した記憶もない。大人しく静かな人、という印象しかない。かといって人づきあいが悪いということもない。見た目はいいから彼女がいても不思議じゃないけれど、そんな噂も無かった。
 キスが深くなってくると、息が浅くなって少しぼうっとした。もともとだるくていくら寝ても眠い感じだから、余計にぼうっとする。そろそろキスをやめたいなと思っても、終わる気配がなくて、そのうちにお腹の奥が疼くような、痺れるような感覚が広がってきた。
(まずいかも)
 凛人を押すようにして逃れ、深呼吸していると倒されてしまった。身体に巻き付けていたタオルケットが外れて、曝け出されてしまう。凛人は服を着ているのに、自分だけ裸なのが恥ずかしかった。
「やめて、もう触らないで」
「そうなの?」
 凛人は落ち着いた様子で言った。
「でもたぶん、この方がいいんじゃないかな」
 腕を掴むとベッドに押し付け、キスしてきた。そのまま耳、首筋と下がってきて、胸の先端をそっと撫でられると、お腹の奥の疼いた部分が下まで降りてきてしまい、指が入ってきたときには軽く痙攣し、全身からふわっと汗が浮いてしまった。
「すごい。縁までいっぱいになってるよ。指入れたら溢れてきちゃった」 
「それ以上しないで……汚しちゃう」
 喘いでいた。すごくだるいのに、熱くなって収縮して、身体の奥がひっきりなしにびくびくしてしまう。
 どうしてこんなに興奮しているんだろう。考えてもわからなかった。泣いていたからだろうか。水分が体の中で循環して、上から下から粘度を変えて流れ出ているだけなんだとしたら、ひとつの出口が緩めば他のところも緩むというのは自然なことのような気がする。
「ダメ、漏らしちゃう。そこ、押さないで」
 自由になる片足を持ち上げられて、逃げられないまま弄られていると、すぐに我慢できなくなってしまった。
「そっか。いいよ、ここでしちゃえ」
「いやっ、本当にやめて」
 足をばたつかせると、鎖に引っ張られた。
「痛い」
 痛みで、少し我に返った。
「暴れたらダメだよ。逃げたりできない。そのために繋いであるんだから。でも……。危ないから、今は外そうか」
 足首は擦れて赤くなっていた。そっと撫でると、ひりひりした。
 凛人が服を脱いでベッド下に放った。わたしはぺたんと座ったままその様子を見ていた。そんなわたしを凛人はベッドの真ん中までずるりと引っ張って、足を開かせてゆっくり入ってきた。押し広げられる感覚に息が上がる。最奥まで受け入れると、自分では触れない場所に当たった。子宮が降りてくる。そのままゆっくり突かれて、たまらなくなって押し付けた。
「気持ちいい?」
「うん……」
 凛人が仰向けになっているわたしの背中から肩に片手を回して、さらに深く入ってきた。我慢できなくて首に手を回し、キスをした。上も下も深く繋がったら安心して、まるでジェットコースターに乗っているときみたいな、身体がふわりと宙に浮く感じがした。
 足場が無くなって、浮いたと思えば落ちて行く。頭から落ちているのか足から落ちているのかもわからなくなった。
 怖くは無かった。それで、突然気が付いた。
 言葉が繋がる順番とか、セックスするときの流れとか、常識の範囲とか、当たり前の和声進行みたいなものが、頭の後ろからポロポロ落ちて、どうでも良くなった。人間の感情は固まったりしない。一瞬一瞬、違っていたっていいのだと。
「好き……」
 唇が離れた一瞬にそう言うと、
「俺も好きです」
 と言葉が返ってきた。
 凛人も汗ばんでいた。一瞬見下ろされて、激しくなった。
 すぐにまたキスをした。深く絡め合ってすべてが近くなって収縮していき、お互いに引き返せない一線を越えた。
 わたしは凛人にしがみついた。これ以上、込められないくらいの力で。

 その後も時間の感覚は全くなかったけれど、凛人が服を渡してくれたとき、七日経ったんだなと思った。
 夏だったのがまずかったのだ、と思う。わたしはドラキュラ伯爵の気持ちがよくわかった。
 七日間、日差しが入らない部屋の中にいたわたしは、凛人のマンションを出た途端、眩しさに目が全く開けられなくなり、さらに体中に光の矢が刺さってくるような痛みに襲われ、おそらく百メートルも歩かないうちに倒れてしまったのだ。
 気が付いたら病院で、実家の母が迎えに来ており、ちょうど夏休みだったこともあってそのまま一か月、実家で静養することになった。
 そして夏休み明け、大学に戻ると、凛人はいなくなっていたのだった。


「あのね、大学三年の時、サークルのメンバーで、途中で大学を辞めちゃった人がいたよね」
 迷ったけれど、思い切って訊いてみた。
「んー、そんな人いたっけ」
 千夏はちょっと考えて、
「わたしは覚えてないけど」
と言った。
「いたよ。同じ学年で、凛人って子で」
「いや、そんな名前のやつ、いなかったよ」
 和弘も言った。
「そんなことないよ。なんでみんな覚えてないの? あのときわたし二人に訊いたよ、凛人のこと。そしたら夏休み中に大学を辞めたんだって言ったじゃない」
 そこまで言うと、二人はハッとしたように顔を見合わせた。その表情で、きっと何かはあるんだ、と確信した。
「何なの、なんで隠すの、ちゃんと教えてよ」
 和弘は戸惑っているようだったが、千夏がわたしを上目遣いでちらりと見て、話しだした。
「もう、十年以上前のことだからさ、大丈夫だと思って言うんだけど。佳奈美、おかしかったんだよ、半年くらい」
「どういうこと?」
 和弘が俯いた。
「本当にごめん……」
「わたしも、謝らなきゃ。ごめん……」
 いきなり二人に謝られて、わたしは困ってしまった。理由がわからないし、謝って欲しいわけじゃない。
「でもさ、佳奈美、あの時の記憶、まだ無いんだ……。あとは大丈夫なのに、そこだけ抜けちゃってるんだね。わたしもこれまで、その話は出さないでいたけど」
 千夏が言いかけ、和弘の顔を見た。
「大学三年の、ちょうど夏休みに入った日に、サークルの飲み会があったんだ。そのとき、佳奈美は歩道橋の階段から落ちたんだよ。それで頭を打って」
 わたしにとっては初めて聞く話だった。二人が代わるがわる説明してくれた。
 夏休み初日の飲み会は、わたしだって覚えている。そこに、千夏と和弘がいたこともわかってる。
 わたしはやはり荒れていたらしい。そこまでは記憶通りだ。それを二人掛かりで介抱してくれ、帰り道、一緒に歩いていたのだという。
 ところが、歩道橋を下っていた時に、わたしは酔っていたせいで足を滑らせ、落ちてしまったらしいのだ。
 打ち所が悪く、意識を失ったわたしは都内の病院に運ばれ、一週間ほど絶対安静の状態に置かれた。その後、夏休みだったこともあり、実家に帰って一か月間、静養していたのだという。
(病院から実家に帰ったのは覚えてるけど)
 二人の話が本当だとしたら、わたしは歩道橋から落ちたことは全く覚えていない。
(でも二人が嘘を言っているようにはみえない。そんな人たちじゃないし。じゃあ、凛人は……?)
 千夏と和弘は東京からわたしの母に何度か連絡を取ったそうだ。
 そのときに、二人はわたしの母から、どうやらわたしには記憶が飛んでいる箇所がある、ただそれは恐らく一時的なものでいずれは落ち着くはずだと医師にも言われたから、夏休み明けに本人がおかしなことを言ったとしても、様子を見ながら話を合わせてほしい、強い刺激を与えないでほしいと言われたらしい。
「……ということなのよ。うん、なんか、サークルにいないはずの男子がいたんだよって話はあのときもしてた。わたしも和弘もわけがわからなかったけど、夢かなにかと記憶を混同してるのかなって……そう思ったから、まだ脳が落ち着いていないところに刺激を与えちゃいけないと思って、適当に返事しちゃってたんだ。でもさ、十年経っても、そこの記憶は戻らないままなんだね。やっぱりあのとき、ひどく打ったんだね。危ないところだったんだ……。わたしたち、実はすっごく気にしてたんだ、だって一緒にいたのに、ちゃんと送り届けられなかったんだもの。和弘もあのあと泣いちゃってさ」
「もうその話はいいだろ。俺だってびっくりしたんだよ、でもさ、なんとか普通に戻ってくれたから、安心はしたんだ。あの時の記憶が前後飛んでるみたいなのは、まあ仕方がないのかな、生きていくのに支障がなければいいわけだし、って……」
 わたしは頭が少し混乱して、黙ってしまった。二人も黙っていたけど、和弘が男子連中に呼ばれ傍からいなくなり、別の仲間がそこにストンと入ってきた。
「久しぶりだね」
 元ボーカルで学園祭では一番人気だった往年のイケメン男子、内藤だった。雰囲気が変わって、混乱していたわたしも少しホッとした。
「あ、内藤。あんた、もうバツ2なんだって?」
 千夏がからかうように言う。
「まあね。でも好きでそうなったわけじゃないよ」
「そんなの当り前じゃない。どうせあんたが浮気したんでしょ?」
「そんなことねえよ!」
 身も蓋もない千夏の言葉に、内藤は心当たりがないわけでもないらしく、少し怒りながら笑っていた。
 弄りやすいイケメンはいい。わたしも、今深く考えるのはやめにした。
 
 帰り道、三次会に流れていく連中を見送って、そろそろ帰ろうかと思っていると、和弘に声をかけられた。
「あれ? 内藤とかと一緒に行かなかったの?」
「だって、このあと佳奈美と話すって言ったじゃん、さっき。もう一軒、行こうよ」
「でも、もう遅いし……」
 すでに終電近かった。三次会に行く連中は始発まで飲むつもりのようだったし、そこまでは付き合えないから帰ろうと思っていたのだ。
「家、どっちだったけ」
「経堂」
「俺も世田谷だ。帰り、タクシーで回ってくよ、それならいいだろ?」
「んー、うん」
 連れだって歩き出した。
 これが内藤だったら断るところだけど、和弘は真面目だということに関しては折り紙付きの男だから、いいかなと思った。
 内藤の行きつけらしいバーに連れていかれた。ボトルが入っていたけど、わたしはウィスキーはだめなので他の、と言ったらバーテンダーが親切な人で、わたしの曖昧な注文に合わせてカクテルを作ってくれた。
 出来上がってきたカクテルはスッキリしていて微炭酸で、甘すぎなくて美味しかった。
 初めは、今日の会のことなどを少し話した。そのあと、最近の生活のことなど。
 わたしはさっきの話をもう少し詳しく聞きたかったけれど、どんな風に質問したらいいか迷って、言えなかった。
 会話が途切れがちになった頃、和弘が、
「さっきの話だけど……」
 と言い出した。
「うん」
「さっきは千夏がいたから言えなかったんだけど、俺も……実はずっと佳奈美に聞いてみたかったことがあるんだ」
(なんだろう。聞きたいことって)
 まったく想像がつかなかった。それに、千夏がいたら言えないこと、というのもよくわからない。
「何?」
「あのさ、記憶ないのってどのへんから?」
 そう聞かれても。それがわかるのならそもそも記憶が飛んでいない気がする。
「あの日、サークルのみんなで飲んだのは覚えてるよ。そこに、千夏と和弘がいたこともわかるよ」
「じゃあ、トイレで潰れてた佳奈美を介抱して、俺と千夏が二人で送って行ったことは?」
「……それは覚えてない」
「じゃあ、気が付いたのっていつ? どのへんから大丈夫なの?」
「それが……」
 言いにくくなって黙ってしまった。
 わたしの中では凛人とのことは、かなりはっきりした記憶になっているので、そのあと倒れて病院で目が覚め、母親に連れられて実家に帰ったことまでが一続きになってしまっているのだ。
 でも凛人のことが現実ではないとしたら、
「そうだね……。実家に帰った辺りからかな」
「そっか……」
 和弘は沈んだ様子で黙ってしまった。
「どうしたの?」
「ん? じゃあさ、その前のことって、覚えてる?」
「前?」
「飲み会の前。三日くらい前だよ」
 何のことかさっぱりわからなくなり、首をかしげてしまった。
「どういうこと?」
「俺もいろいろ調べたんだ。頭を打つとどれくらい記憶が飛んだりするのかって。でも個人差があるんだよな」
 打ちどころとかどれくらい強く打つかにもよるだろうし、そんなことは当たり前だと思うが、和弘はかなり真面目な顔でそう言った。
「頭を打った瞬間とか、その後のことって、記憶が飛ぶのはわかる気がするんだけど、その前の記憶も飛んじゃうのかって思ったから」
「なんで?」
 自分の記憶がどんなふうに飛んでいるのかは自分ではわからないわけだから、和弘の疑問には答えられないけど、真剣な様子なので不思議に思った。
「言おうかどうか、ずっと迷ってたんだ。でも、俺も自分の気持ちにけじめをつけたいって思うから……。あのさ、もしかしたら嫌な話かもしれないけど、聞いてもらえるかな」
 わたしは頷いた。よくわからないけれど、真面目な和弘がここまで言うからには、大事な話なんだと思った。
「佳奈美が歩道橋から落ちる三日前なんだけど、俺たち、寝たんだよ」
「は?」
 思わず目が丸くなってしまった。本当に全く、記憶にない。
「あー、やっぱり、びっくりしてる。そうだよな、学生のときから、これは全く覚えてないんだなってわかってはいたんだけどさ。だって明らかに覚えてるけど知らないふりしてる、って感じじゃないんだ。これはきっと記憶が飛んでるんだろうって、思ってはいたけど」
「あのー。なんで、そんなことに」
 なんだか急に落ち着かない気分になってきた。
「わかりやすく言うと、佳奈美が失恋して落ち込んでるところに付け込んで、家まで連れてったって感じかな」
「ふーん」
 まるで他人事のように思えるせいか、腹は立たない。
「でもさ、言い訳させてもらうと、俺は前から佳奈美のことが好きだったんだよ」
 和弘が淡々と話すせいもあって、わたしも普通に受け止めてしまった。
「そうなの?」
「そうなんです」
 和弘もどこか他人事のように言っている。
「でもさ、自分で言うのもなんだけど、そのときは佳奈美もそんなに悪い感触じゃなかったんだ。だからそのうち落ち着いてきて、このまま付き合えるかなって思ってたら、頭を打っちゃってすべてが消えたんだよ。だってああいうのって勢いだろ、二度も同じことはできない。佳奈美もいつもの佳奈美に戻っちゃって、付け入る隙っていうか……こういう言い方するとよくないけどさ、俺にしたら、仲良くなるきっかけがなくなった感じだったんだ。で、まあそのまま卒業になったわけなんだけど。俺としては、ずっとどこか気になってたっていうか。なんか……うまく言えないけど、俺としては、記憶を共有したかったのかなって思ったんだ」
 あ、そうか、と思った。わたしもそうかもしれない。
「なるほど。だって、記憶がなかったら、すべて無かったことになっちゃうものね。確かに、わたしの中には、そのことはないもの」
「うん。付き合えなくても上手くいかなくても、それは仕方ないって思えるけど……。なんか、全くなかったことになってるのが寂しかったっていうか。だから今日言えて、良かったよ。佳奈美は迷惑かもしれないけど」
「そんなことないよ」
「いや……」
 少し黙ったあと、わたしは迷ったけれど、話してみようと思った。今なら、和弘になら言える気がした。
「わたしは逆に……。記憶だけがあるので困ってるの。サークルにいなかったはずの男の子のこと」
「それって、そんなに具体的なの? 生々しいの?」
「うん。実際にあったこととしか思えないし、今も、わたしの中にはあるの」
「そいつとって……もしかすると……、したの?」
「うん」
「なんか、妬けるな」
「でも、なかったことなんでしょ、現実には」
「だからしつこく、尋ねてたんだ」
「だって、気になるもの」
「そりゃ、そうか。したんだものな」
 話しているとなぜか、すっきりしてきた。どこか、頭の中がクリアになっていくような。
 ずっと彼氏が作れなかったのは、凛人のことが整理できなかったからかもしれない。
 今でもやはり、あのことはすべて「あった」のだと思う。実際にあったのかどうかではなく。人間には自分の記憶と感覚しか、ないのだから。頭を打ってから、わたしはもしかしたらずっと少しおかしいのかもしれないけれど。
「この際だから言っちゃうけど」
 頭の中で考えを巡らせていたせいかぼんやりしていたわたしに、和弘が言った。
「ねえ、俺と付き合わない? ダメかな? ずっと言えなかったけど、もう今言わないと、俺たち後がないからさ」
「いいよ」
 わたしは即答した。
「え? いいの?」
 言い出したはずの和弘がびっくりしている。
「わたし、頭を打ってたぶんちょっと変だから、和弘とじゃないともう付き合えない気がする。そうすると、一生結婚できなくなっちゃうだけだし」
「そういう理由?」
「ダメ?」
「いや、いいけど」
「じゃあ、行こう」
「どこに?」
「だって……、付き合うんでしょ?」

 タクシーで和弘の家まで移動した。少し古い、エレベーターのない五階建てのマンションで、階段で四階まで上がったら疲れてしまった。
 玄関に入るとすぐにキスをした。凛人のことを入れても入れなくても十年ぶりに近いキスだ。
(ん? この感触、どこかで……)
 靴を脱いでいると、奥から猫が出てきた。
「あ、可愛い。飼ってるんだ」
「うん。もう、けっこうおじいちゃんでさ。学生の時から飼ってるから……」
「名前は?」
「グレイ」
 灰色の猫だ。艶はさすがに少し、減っているけど、品のある様子は変わらない。
(グレイだ……。間違いない)
 胸の中がざわざわした。
「会ったことあるかも」
 思わず言うと、前に来た時もいたよ、と返された。
「覚えてるの?」
 目を覗き込まれる。和弘とのことは記憶にない。でも……。
(ほんとに……。わたしの頭って、どうなっちゃってるんだろ)
 不安になり抱きついた。
「ん? ちょっと待ってよ……」
 和弘がわたしの体を優しく撫でながら言う。
 声がいつもと違う。ちょっと甘い。この声にも……覚えがある。
(あ、そうか……)
 記憶は戻らなくてもいいのかもしれない。別に、困らないから。
 でも、確かめたいことがたくさんある。わたしは和弘の胸に顔を埋めた。

 
                                おわり




「山形小説家(ライター)講座」にてテキストになったものです。
「監禁もの」のように書いていますが実際は違うのでふわふわしちゃってますが、
もしよかったら読んでください。あ、でもここを読んでるってことはもう読んだあとかな。

講座では怒られそうで言えませんでしたがタイトルありきで書いたもので
すっごく好きなESTの「 Seven Days Of Falling」からそのままイメージして、書いた作品でした。

不完全かもだけど楽しく書いたし、PCの中においてても仕方ないので出しちゃいます^^

ちなみにこういう曲↓

 E.S.T. Esbjörn Svensson Trio - Seven Days Of Falling




 
 
 
 


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