(短編小説)フラッシュバルブメモリー(ちょっと18禁)

「フラッシュバルブメモリー」
                乃村寧音(チアーヌ)



 借景、と言えば聞こえはいいけれど、要するにうちの庭園と山の間に何もないだけだ。
 しかもその山は二千メートル級で、そう遠くにあるわけでもないので、実際に庭に立つと、どちらかといえば感じるのは美ではなく圧迫感だ。百五十年前に京都から庭師を呼んで作らせたと聞いているけれど、その庭師も頭を悩ませた末どうしようもなく、こうなってしまったんだろうとわたしは勝手に思っている。
 茅葺屋根の古い家に、代々集められた骨董品や美術品の数々。正直なところ全く興味も関心もないのに、わたしはこの家の一人娘だというだけでそれらを管理しながら日々暮らしている。十キロ四方コンビニひとつない、何もない村で。

 最初、一体誰だかわからなかった。
 家にかかってきた電話で、ホースで庭の苔に水を撒いているときに母に呼ばれた。濡れた足を拭きながら家に上がり、リビングの片隅に置かれた電話の子機を取ると、男の声がした。
「麻衣ちゃん、久しぶり。岩村です」
 ええと、とつい曖昧に答えると、電話の向こうでクスクス笑っているような気配があって、
「携帯の番号は変えたんだね。でも探したらすぐにわかったよ。田舎の大庄屋が実家、って言っていたけど本当だったんだね」
 そこまで声を聞いて、やっと思い出した。岩村なんて言われてもわからない。
「あ、清隆くんか。久しぶり」
「何やってるの、最近」
「何って、田舎で大人しくしてるよ、やることもないし」
 また、電話の向こうで笑っている気配がした。
「そうかあ、ま、大人しくしてるのは俺も同じかな。あれからもう八年も経つんだね。あ、実は去年、千佳と結婚したんだ」
「ふうん、やっぱり。おめでとうございます」
「今、千佳もそばにいるよ。懐かしいね」
「そうだね」
 電話の向こうの笑っている気配は、千佳と一緒だからなのか。わたしは納得した。
「あのさ、わざわざ電話したのは、利奈のことなんだ。利奈、覚えてるだろ」
「うん、もちろん覚えてるよ」
 わたしはちらりと周囲を見回した。母はいない。どうやら、わたしがやっていた水撒きの続きをしているようだ。聞き耳を立てられるのは嫌なので、少し安心した。

 利奈との関係を説明するのはちょっとややこしい。友達、というわけじゃないし、共通点もないし、付き合っていた期間も短い。なので、まずは千佳とのことから。
 千佳と知り合ったのは都内の博物館で行われた学芸員実習のときだった。わたしは音楽大学の声楽科に通っていたのだけれど、実家で経営する資料館のためにもぜひ資格を取るようにと親に言われていたのだ。
 その時は三つくらいの大学が同時に実習していて、千佳はお嬢様大学として有名な女子大から来ていた。見た目はいかにもという雰囲気なのに、話をするとけっこうノリが良くて、妙に気が合った。二週間行われた実習の最終日、打ち上げしようと誘われて、赤坂の大きなホテルの上階にある中華料理屋に連れて行かれた。
その中華料理屋の個室で、初めて清隆に会ったのだった。
 三人しかいないのに大きな円卓で食事をするのはなんだか変な感じだったけれど、カラフルな前菜から始まった食事はとてもおいしかった。
 二人はとても仲が良くて、てっきりカップルなんだと思ったのに、そう言ってみると二人は笑いながらそれぞれ首を横に振った。
「別にそういうわけじゃないんだよね。わたしたちは幼馴染なの」
「そう、家も隣のマンションなんだ。おじいちゃんたちは同じ職場に勤めていてさ」
「ひいおばあちゃんたちが姉妹なの。二人とも御所で女官をやっていたの」
「ま、俺たちは親戚みたいなもんだよ」
 顔が直接似ているという感じはしないのに、イメージが双子のように良く似ている二人だなと思った。
 そしてそのまま、三人で六本木のクラブに遊びに行った。中は盛り上がっていて、お酒を飲んで知らない人と一緒になってはしゃいでいると不意に腕を引っ張られた。誰かと思ったら清隆だった。
 いつのまにか千佳はいなくなっていて、清隆は別な女の子といて、その子を紹介された。それが利奈だった。
 利奈はとてもきれいな女の子だった。背が高くしなやかな体つきで、黒目がちで顔が小さく、まるでモデルみたいだった。 わたしは背も低いし顔も十人並みのちょっとマシくらいだから、素直にうらやましいと思った。
 千佳はどこへ行ったのだろう、と思ったけれど、清隆が次々にドリンクを運んできてくれるので、飲んでいると段々どうでも良くなってしまった。
 わたしと利奈と清隆は手を繋いで、三人で輪になってバカみたいに踊ってとても楽しかった。それで、ほぼ初対面に近い二人とすっかり打ち解けてしまった。
 気が付いたら終電が無くなっていた。
「すぐ近くだから、うちに泊まって行きなよ。だからもう少し遊ぼうよ」
 利奈にそう誘われ、その後、結局三人で利奈の家になだれ込んだ。かなり酔っていたので記憶は曖昧なのだけれど、寝室に運ばれてあっという間に裸にされたのは覚えている。
 迷う余地なんか無かった。戸惑っているわたしに二人が襲いかかってきた感じだった。
「きれいだよ。思ったより胸もでかいじゃん」
 ベッドで背後から清隆に抱きかかえられて胸を揉まれている間に、前から利奈がわたしの両膝を広げ、焦らすように周辺を撫で回し、そのうちに指を浅く入れてきた。女の子にされるのは初めてで、どう反応したらいいかわからないまま気持ち良くなってしまった。
 二人はすごく丁寧で、けして強い力をかけて来なかった。それでいて、わたしが時々我に返って体を閉じようとすると、それは許してくれない。気が付いたらどんどん開いてしまっていて、いつのまにかわたしは四つん這いになって清隆のをしゃぶっていた。
「麻衣ちゃんのここ、すごくいい感じ」
 利奈が後ろからわたしの中に指を入れていた。指は探るようにあちこちに伸び、確認するみたいに気持ちいいところを押されると、びくびくと体が震えた。
「ふうん、じゃあちょっと代わって」
 二人の位置が変わり、くるんと仰向けにされると、すぐに清隆が入ってきた。何の躊躇もなくて、喉が渇いたから水を飲む程度の感じだった。わたしのほうは奥の方までこじ開けられる感じについ喘いでしまった。
「ああなるほど、なかなかいいね」
 清隆は味わう感じでゆっくり動かしていた。わたしはすぐに物足りなくなって、自分から腰を押し付けてしまった。
「だめだめ、麻衣ちゃんたら焦らないの。まだ我慢しなさいね」
 利奈はそんなことを言いながら、はぐらかすような感じで肝心なところを触らないように刺激してくる。わたしは行き場がなくて、ぐるぐる回った挙句に失神してしまいそうだった。
 またくるんとひっくり返され、今度はバックで入ってきた。わたしが感じて来ると、清隆はいきなり乳首を抓ったりした。この二人はなかなか意地悪なんだなと思った。
「わたしのもやってよ」
 そう言いながら、目の前で利奈が両足を開いた。きれいに整えられた陰毛の中に、不気味な割れ目があった。どんなにきれいな女の子でも、ぱっくりと割れたここはやはりグロテスクだ。ここから直接内臓が覗けてしまいそうな、真っ暗闇の穴。わたしは思わず怯んでしまった。
「早く」
 利奈がわたしに命令した。仕方なく指を入れてみた。
「なんだよ、もっとしてやれよ。利奈のをちゃんとしないと、こうだぞ」
清隆がわたしのお尻を平手で叩いた。
「痛い」
 思わず涙目になると、なんだこの程度で、ともう二、三発引っ叩かれて後ろから髪を引っ張られ、強引に利奈のヴァギナに口を押し付けられてしまった。
 ただでさえボロボロだった壁が完全に壊れてしまうような感じで、頭にまだわずかに残っていたかもしれない理性のかけらが落っこちてしまった。子宮が下がって、時々前触れもなく中が痙攣した。初めての感触と味が、脳まで響いた。わたしは夢中になって利奈の中に舌を這わせていった。
「気持ちいい。やっと可愛い雌犬ちゃんになってくれた」
 利奈がわたしの頭を抱え、顔に腰を押し付けてきた。鼻まで塞がり息苦しかった。そのうちに利奈はすっかり興奮して、長い足をばたばたさせながら喘ぎ始めた。
 清隆がわたしから離れて利奈の上に乗ると、利奈は歯を食いしばりながらシーツに体を擦り付け、うれしそうに清隆の背中に足を絡ませ首を抱いた。それを見て、清隆の方はともかく利奈はきっと清隆を好きなんだろうなと思った。三人でするのも初めてだったけれど、他人が目の前でしているのを見るのも初めてだった。その様子を眺めながら、やたらと広いダブルベッドの端に横になり、いつの間にかそのまま眠ってしまっていた。

 水面に引っ張られるような感じでうっすらと目を開けた。もう明るくて、清隆が真上にいた。清隆はわたしの髪を上のほうに優しくかきあげるようにしながら軽く何度もキスしていた。どうやらそれで目を覚ましたらしかった。最初は挨拶代りかなと思っていたのだけれど、わたしが目を覚ましたとわかると、すぐに深いキスになった。そうしてそのままゆっくりと入ってきた。寝ぼけている状態でするのはすごく気持ちいい。昨夜みたいに焦らされることはなくて、清隆は手早くわたしを満足させにかかっていた。
「気持ちいい?」
「うん」
「昨日、寝ちゃってたからさ。あれじゃ中途半端だったかなって。だからこれはアフターサービス」
 思わず笑ってしまった。でもすぐに笑っていられなくなってしまったのだけれど。

 済むと、清隆が近くのコンビニに朝食を買いに行った。ベッドの片隅では利奈がまだ眠っていた。
 夜の間は気が付かなかったのだけれど、明るいところで見ると、ベッドのシーツもなんだか薄汚れていたし、床には綿埃や髪の毛が落ちているし、部屋はけっこう汚かった。なんだか殺伐としていた。
 清隆がコンビニ袋を二つ下げて戻ってきた。
ひとつの袋から水、コーヒー、オレンジジュース、サンドイッチ、おにぎり、シュークリーム、エクレア等々の、あまり統一性のない食べ物群を取り出し、どさっとテーブルに広げると、
「好きなの食べて。あ、エクレアだけ残しておいてね」
と言ってテレビの電源を入れ、自分はおにぎりをがつがつと食べ始めた。
「利奈ちゃん、起こさなくていいの」
「ああ、いいんだ。利奈はしばらく起きないよ、明け方に睡眠薬飲んだから」
清隆がベッドわきに落ちている錠剤のシートを指差した。
「えっ、こんなの飲ませていいの?」
「大丈夫だよ。それに、このほうがいいんだ、利奈は放っておくともっとヤバいのやっちゃうから」
「もっとヤバいのって」
「覚せい剤とかだよ。実は利奈、執行猶予中なんだ」
 食べ終わると清隆はさっさと立ち上がり、もうひとつのコンビニ袋の中身を取り出し始めた。中身は洗剤や掃除用のシートだった。
「良かったら手伝ってくれる? 十日ぶりに来たから、掃除したいんだ」
 わたしは水回りを掃除し、ついでに洗濯機も回した。清隆は掃除機をかけ、掃除シートで家具や床を拭きまくっていた。
 見ていると手つきがよくて、掃除好きのマメな男の子なんだなとわかった。わたしもわりにきれい好きな方だ。汚かった部屋は見違えるほどきれいになった。
 利奈が目を覚ましたのは夕方だった。
 ミネラルウォーターを一気に飲み干しエクレアを食べてしまうと、利奈はやっと落ち着いたらしく、煙草に火をつけて一服を始めた。
「なんか部屋、きれいになった」
「そうだろ。昼からずっと二人で掃除してたんだ」
「ありがとう。ええと、麻衣ちゃんはお兄ちゃんの友達なの?」
一瞬意味がわからなくて、思わず清隆の顔を見てしまった。清隆はわたしを見て、
「利奈は腹違いの妹なんだ」
と笑った。
そうか腹違いか、と思わず納得しそうになったものの、良く考えたらやはり兄妹に違いないので、やはりびっくりしてしまった。何を言ったらいいかわからなくなり、
「あまり似てないね」
と言うと、二人とも吹き出してしまった。
「利奈はあっちの母親にそっくりだからな。俺も自分の母親似だし」
 利奈は次々に新しい煙草に火をつけていた。かなりのヘビースモーカーらしい。
「お前、煙草少し控えろよ。いくらなんでも吸い過ぎだぞ」
「あーあ、お兄ちゃんてばうるさい。ねえ麻衣ちゃん、今日も遊びに行こうよ。わたし麻衣ちゃんのこと好きになっちゃったみたい」
 縋るような目で見つめられてちょっと困ってしまったけれど、レッスンのことが頭をよぎったこともあってその日は帰ることにした。
 
 学芸員実習が終わると日常に戻った。
月曜日、和声学の教室に入ると後ろの方の席に座り、教科書を広げて課題部分への書き込みを始めた。すると少しして、後ろからトントンと背中を叩かれた。振り向くと指揮科の順也だった。
「よう、久しぶり」
「そっちこそ。しばらく見なかったじゃない」
「先生のお供で、フランスのコンクールを見に行ってたんだ。お前も、ここしばらく見なかったけどどこに行ってたんだよ」
「わたしは学芸員実習」
「へえ、学芸員なんか取ってたんだ。意外に真面目だな、お前。ところで今書いてるそれ、完全に間違ってるぞ」
「えっそうなの。ちょっと、順也の見せてよ」
「嫌だね」
 順也の教科書を無理やりに奪って課題を書き写していると先生が入ってきた。わたしたちは黙って前を向いて、しばらく足を蹴りあっていた。
 順也が大人しくなったなと思ったら、今度は携帯にメールが入った。マナーモードにしていたけれど振動で気が付いたので、机の下でこっそり見てみると、順也からだった。真後ろからメールしてきているのだ。
『今日このあと、うちに遊びに来いよ』
『ふうん、さては飢えてるな』
『フランスで禁欲生活してたので飢えてます』
『せっかくフランスまで行ったのに、モテない男はつらいねえ』
『そんな暇なかっただけ、俺はあっちでも相変わらずモテモテでした』
『今日はダメ、明日オペラ実習だけど暗譜してないし練習できてないから』
『それなら、練習につきあってやるよ。だったらいいだろ』
『ラッキー、それならいいよ』

「なんだその声。お前さっぱり歌ってないな」「だから学芸員実習だったんだってば」
「それにしてもひどすぎる。こんなの暗譜以前の問題だぞ」
 実習ではモーツァルト作曲の「コジ・ファン・トゥッテ」というオペラが課題になっていた。役を貰って年度末の本公演で舞台に立つには、学年でトップクラスの成績を収めなければならない。いつも中程度の成績しか取れないわたしは最初から諦めモードだった。
「少しはちゃんとやれよ、お前けっこういい声してるんだけどな」
「この土日ばたばたしちゃって、そのせいもあるかも」
「なんだよそれ、どうせ男だろ。練習もしねえでチャラチャラしやがって」
本当にそうなので、う、と一瞬詰まってしまった。
「順也に言われる筋合いないけどね。そういえば最近、ピアノ科の一年の子が順也のせいで大学やめたって評判になってるけど」
「知るかそんなの、飲んだ勢いで一回やっただけなのに、大騒ぎするほうがどうかしてるだろ。そんなことでやめるならさっさとやめちゃえばいいんだよ」
「ふん。刺されるよそのうち」
「刺されないよ、俺はそこまで足突っ込まないから。相手はちゃんと選ぶしさ」
 順也はわたしの練習に三時間もつきあってくれた。指摘が的確で、練習も要領よくやらせてくれたのですごく助かった。
「ありがとう、持つべきものは使えるセフレだね」
「ほんと、感謝しろよな。やればできるじゃん。明日はちゃんとやれよ」

 順也の家は学校から歩いて十分のマンションで、部屋もかなり広かった。レッスン室、寝室、リビングダイニングが独立している。学生がひとりで住むには贅沢な物件であるのは確かで、入学した当初はこんなところには住んでいなかった。順也曰く「俺は庶民の生まれ」だそうで、マンションの家賃や海外へ行くときの旅費などは、すべて親ではなくどこかのパトロンおばさんからの援助で賄っていた。
「今日は泊まっていくだろ?」
「うん」
 部屋に入るとすぐにキッチンで音がしはじめ、カルボナーラのパスタとサラダが出てきた。
「ワイン、赤白どっちにする。サラダにはホタテが入ってるけど」
「じゃあ白」
「コルボだけどいい?」
「いい」
 順也の作るものは、いつもおいしい。
「また腕が上がったんじゃない」
「パトローネ様に満足していただかなきゃならないからな」
「今日もあのおばさんに会えば良かったじゃない。僕フランスで禁欲してきたので溜まってまーすって」
「勘弁してくれよ、それって疲れているのにさらに仕事するようなものなんだからさ」

 二人でワインを一本あけてソファでいちゃつき始めると、すぐに引きずりおろされるような快感に襲われた。ベッドまで行くに行けなくなり、すぐに入ってきた順也は本当に溜まっていたみたいで激しくて、痛いくらいだった。
「麻衣ちゃんの中、すごく気持ちいい。ずっと入っていたい」
 何度もキスしながらそんなことを言って腰を押し付け、奥の奥まで確認するみたいにゆっくり動かされると、体中が緩んでしまった。いつの間に声が出ていたのか、これ舐めて我慢して、と言いながら順也がわたしの口に指を入れてきた。
 わたしの初めての男は順也だった。大学に入ってすぐの飲み会で仲良くなって、その晩のうちにやられてしまったのだ。鈍感なわたしにも、これはどうやら付き合うとかそういうことには発展しないんだ、ということだけはわかって、それからこれまでつかず離れずの関係が続いていた。
 わたしはたぶん順也が好きなのだと思う。ずっと身近で観察してきたけれど、その頭の良さや才能にくらくらしっぱなしだ。でもそのことをあまり突き詰めて考えると、いろんなことのバランスを欠いてしまう。順也にだって都合があるし、世の中は愛と恋で出来上がっているわけではないから、そこだけ突出させて思い込んでしまうと、たとえば大学をやめたピアノ科の一年生みたいになってしまうのだ。わたしはそれをやらない。必要なときに必要な行為ができればそれでいい。よく「都合のいい女になってはいけない」みたいな意見を見かけるけれど、都合がよくなければ付き合ってくれない好きな男の子がいるとしたら、どんどん都合よくなったほうがいいに決まっている。「都合のいい女にはなりたくない」人たちは一体どんな女になって、どんな男の子と付き合いたいのだろう。それって本当に自分がしたいことをしているんだろうか。
「すごいぞ、確認してみろよ」
 順也がわたしの手を引っ張り、結合部分を触らせた。自分がこれ以上ないくらに開いて深く順也を受け入れているのがわかった。
「ソファ、汚しちゃうね。バスタオル敷いておけばよかった」
 腿まで濡れていた。布製のソファカバーはすでに台無しだった。
「そんな余裕、無かった」
 順也が笑いながら言った。
「ベッド、行く?」
「いいよもう、ここで」
どこかで水が流れるような音がした。わたしの体の中の音かもしれない。流れはいずれ一か所に集まり、膨らんで、破裂して拡散する。いつも、できるだけその瞬間を遠ざけようとするのだけれど、たぶんどうにもならないんだろう。わたしは両手で顔を隠すようにして目を閉じた。

 何日かして清隆から、青山で会いたいと連絡があった。待ち合わせ場所の小さなアジアンレストランに入ると、奥のテーブルに利奈と千佳と清隆がいてにこにこと手を振っていた。
 隠れ家風の洒落たお店だった。わたしはビールの小瓶をもらって、青パパイヤのサラダとアジア風の炊き込みご飯を食べた。それで四人で、どうだっていい話で盛り上がった。
実家のことを話したのはその時だと思う。千佳に出身地を尋ねられて、少し答えたら三人は興味を覚えたらしく、次々と質問攻めにあってしまったのだ。
 わたしの実家は昔大庄屋だった家で、村の山のほとんどを所有していた。今もその一部をそのまま持っているけれど、使い道もないので放っておいている。地方都市からもずいぶんと離れている、忘れられたような田舎だ。
 先祖は安土桃山時代に村に入ったとされていて、母屋の一部や表門が重要文化財に指定されている。道具類にもめずらしいものが多く、代々集められた美術品などもあるので、父が一部を一般公開することにして資料館を作ったのだ。
「行ってみたいな」
 利奈が言った。最初は社交辞令かと思ったのだけれど、利奈は何度もそう繰り返した。本当にそう思うみたいだった。
「山って、どんな木が生えているの」
「いろいろだけど、杉とかブナとかね。県の指定になっているような巨木もたくさんあるよ。ブナ林の奥には渓流が流れていて、大きな岩がごろごろしているから、降りて行って、そこで少し休んだりもできるし。天気のいいときなら、すごくきれいだよ」
「どんな動物がいるの。熊とかもいるの」
「もちろん熊もいるし、そうだなあ、たぬき、きつね、イタチ、うさぎ、カモシカ、たくさんいるよ」
「ふうん、熊は怖いけど、そういうところって見てみたい。行ってみたいな。きっと、奥まで行けば誰もいないんだろうね」
「そもそも村の人口が少ないからね。限界集落って、知ってるかなあ、そういうところがゴロゴロあるの。それに田舎の人は、山や畑で仕事をしていることはあってもわざわざ散歩している人なんかいないからね」
「ふうん、なんかわたし、そういうところでふらふらしたいけどな。誰もいないところで」
「ふらふら歩いてる人なんかいないよ。でも都会から来たらきっと、歩いてみたいよね。もし遊びに来るんだったら、案内するよ」
「本当に? 麻衣ちゃん、本当にわたしのこと案内してくれる?」
 そのとき、利奈の様子がちょっとおかしいな、という感じがした。なんでもない話なのに興奮してくるというか、息が上がってきていて、自分でもおかしいと思うのか胸を押さえて窓の外を眺めたり視線を戻したり、なんだか落ち着きがなかった。
 清隆がその様子を見て、利奈の前に錠剤を置いた。利奈はそれを慌てて飲んだ。千佳は表情を変えずに、黙ってその様子を見ていた。わたしも黙っていた。それを飲むと、利奈は次第に汗をかき始め、そのうち机に突っ伏して、落っこちるように眠ってしまった。
「大丈夫かな」
 わたしは小さな声で言った。
「病院からもらってる精神安定剤だから大丈夫。これ以上様子がおかしくなるようなら、俺たちが病院に連れていくから心配しないでいいよ」
「利奈ちゃんね、麻衣ちゃんのことすごく気に入ったみたいなの。でもこういう子だから、わたしたちも心配で。麻衣ちゃんに迷惑がかからないといいんだけど。ごめんね」
「虚言癖もあるんだ。だから不安でさ。何を言い出すかわからない。だから、もし何かあったら、俺に連絡して」
口々に言われ、わたしは曖昧に頷いた。利奈を見ると、額がびっしょり濡れて前髪が張り付いている。心配だったけれど、二人に促されるまま先に店を出た。
 あの後三人の間でどんな話があったのかはよくわからないのだけれど、深夜、利奈から電話がかかるようになったのはそれからすぐのことだった。大抵はひどく酔っているような、たどたどしい縺れた話し方で、一方的に話して切れてしまったり、こっちも夜中はすっかり眠っていることが多くて着信だけが残っていたりした。そんなときは次の日になって折り返し電話してもつながらないことが多かった。

 順也の家で、合唱曲のアナリーゼ(楽曲分析)をしてもらっているときに携帯が鳴った。ちょうど和声進行をピアノで弾いている最中だったので、わたしはペダルから足を離した。
「鳴ってるぞ」
「うん」
 画面を見ると利奈で、課題を終わらせなければならないこともあり、出るかどうかちょっと迷った。
「なに、男?」
 順也がからかうように言う。
「女の子だよ」
 仕方なく出ると、落ち込んだような声が聞こえてきた。
「麻衣ちゃん、元気?」
「元気だよ」
「そっかあ。あのね、わたし今日、お母さんのお墓参りに行ってきたの」
「そうなんだ」
 母親が亡くなっているという話は聞いたことがなかったし、いつ亡くなったのかもわからないので、一瞬どう返事をしていいのか迷ってしまった。
「うん。そうなの。あのね、今日会えないかな、麻衣ちゃんのところに行くから」
「でも、わたし今友達のところにいるんだけど」
「じゃあそこに行く」
 強引だなと思いつつも、声の調子を聞くと断るに断れなくてついOKしてしまった。順也に、女の子の知り合いが来るんだけど駅あたりで待っていてもらおうかな、と言うと、
「まだこっちも終わりそうにないしさ、ここに呼べば?」
とあっさり言われてしまった。

 利奈を少し部屋で待たせて、やっと課題が終わった。順也は親切な男なので、ピアノの蓋を閉じると利奈にビールを出した。
「麻衣ちゃんの宿題、終わったんだ。でも今のって何だったの?」
 利奈が不思議そうに言った。
「ああそうか、さっきからほとんど和音しか聞いてないもんな。じゃあ、せっかくだから聞いてみようか。今やってたのはね、モーツァルトのミサ曲なんだ」
 順也がCDをかけ、三人で聞いた。利奈は黙ったままぼうっと聞いていた。
「こんなに明るい曲だったんだ。なんて言ってるの」
「マリア様に守ってください、って言ってるんだよ」
「どうしてこんなに明るいの」
「うれしいからだよ、みんなマリア様が大好きで、いわばこの曲は甘えモードなんだ。マリア様は聖母だからね。みんなのお母さんみたいなもんなんだ」
「何それ。お母さんだから好きなんてことないでしょう。わたしはそう思わない」
 順也が利奈を観察するように見て口をつぐんだ。
「あんなの、早く死んじゃって良かった」
 音楽だけが流れていて、しばらく三人とも黙っていた。
「いつ、亡くなったの」
 順也が言った。
「去年。いいの、死んじゃったことは。最悪な女だったもん。今日ね、一周忌だったの。だから呼び出されちゃって。初めて行った、あんなところ。お兄ちゃんは嘘つきだよ。あんなのお墓じゃない。あんなだったら無い方がいいよ。勝手に焼いて処分しただけだよ。窓がない変なビルなの。中に入るとたくさんロッカーがあって、ここですって言われて。お坊さんがお経上げて、その後ろにひとりで立ってたんだけど、わたし怖くて」
 利奈が泣き出した。
「怖かったの。死んだらわたしもここに来るのかなって思ったら。母親も大嫌いだし」
 利奈が抱きついて来た。全身が熱くなっていて、まるで小さな子供みたいだった。わたしは静かに利奈の背中を撫でた。
「麻衣ちゃんのところしか来るところがなかったの。お兄ちゃんと千佳ちゃんは、本当は怖い人たちなんだよ。それにすごく嘘つき」
 そういえば、清隆と千佳も利奈のことを虚言癖があるからと言っていたなあ、と思いながら、わたしはとりあえず目の前の利奈を抱きしめた。

 もう深夜に近かったということもあって、結局利奈も一緒に泊まることになった。
 先に利奈がシャワーを浴びに行った。次にわたしがシャワーを浴びに行こうと立ち上がると、利奈が順也に目を当てていた。順也はファンがいるほどの男前なので、利奈がその気になるのは当たり前だった。これは失敗したかな、と思ったけれど、水は低い方に流れるに決まっているわけで、もう仕方なかった。
 ゆっくりシャワーを浴びて出てくると、なんとなく二人の様子がおかしかった。
順也はわたしが出てきたのを見ると、じゃあ俺あっちで寝るから、と言ってさっさと寝室に入ってしまったし、利奈はリビングに敷いたマットレスの上でごろんと横になり、つまらなそうな表情で携帯電話をいじり始めた。
 わたしは冷蔵庫から缶ビールを取り出し、一気に飲んでしまうと、まあいいや、と思いながら誰とも話をしないで寝てしまった。
 朝、目を覚ますと利奈はいなくなっていた。いつのまに消えたのだろうと不思議だった。
寝室へ行くと順也は寝ていた。わたしが行くと、そのままベッドに引きずり込まれてしまった。

「まったく、麻衣ちゃんがとんでもないの連れて来ちゃうから、俺怖くて寝られなかったよ」
 終わったあと、順也の体に手を回して腋の下に顔を擦り付けるようにして甘えていると、そんなことを言われてしまった。
「なんかあったの」
「なんかあったのじゃねえよ。麻衣ちゃんが風呂に入ってる間、ずっと襲われ続けてたんだぞ。必死に断りまくったけど」
「やっぱり」
「やっぱりじゃねえよ」
 順也はけっこう本気で怒っていた。
「やっちゃえば良かったじゃない。どうせ順也は軽いんで有名なんだから」
「バカかお前、そういう問題じゃないぞあれは。俺はちゃんと相手を選ぶんだよ。おかしな女となんかやらないよ。パトローネちゃんたちだって、悪いけど俺、ちゃんとしたところの金持ちの主婦としか付き合わねえことにしてるもん。麻衣ちゃんのことは大学に入ったときからの付き合いだから面倒みてるけどさ。なあ、ちゃんとわかってるんだろうな、あれは絶対ヤバい女だぞ。関わるな、あんなのと。一体どこで知り合ったんだよ」
「ええと、学芸員実習で一緒だった人の、友達の、腹違いの妹っていうか」
「なんだよそれ、全然わかんないよ。まあいいや、気をつけろ。あと、二度と連れてくるなよ」
わたしは頷くしかなかった。

 しばらくして、わたしは清隆を呼び出した。場所が新宿だったので、三丁目の和食カウンターの店に入った。
「呼び出してくれてちょうど良かった。俺の方も話があったんだよ」
「何?」
「ついこの間なんだけど、千佳が利奈に刺されたんだ」
「えっ」
 わたしは驚いて、焼酎のグラスを口から離してしまった。
「どうして」
「あいつここしばらくおかしくてさ。何も食べなくなっちゃって、仕方ないから千佳と一緒に押しかけて、嫌がるのを無理に行きつけの精神科に連れて行ったんだ。そうしたら拒食症って診断されて、入院するように言われてさ。それで、とりあえずあいつの家に戻って荷造りを手伝ってたんだけど、いきなり錯乱しちゃって、千佳を刺したんだ」
「それで千佳ちゃんは大丈夫なの」
「うん、それは傷も浅くて大したことないんだ」
「良かった。でもなんでそんなことしちゃったんだろう、利奈ちゃん」
「ドラッグのフラッシュバックだと思うよ。あいつ、基本的に病気だからさ。暴れてたけど、病院に入ったら大人しくなったみたいだよ」
 清隆はあっさりとそんな風に言うと、
「で、そっちはなんかあった?」
と、聞いてきた。
 わたしは何度か夜中に電話があったことや、母親の一周忌のときに会いに来たことなどを話した。
「ふうん、あいつそんなことしてたんだ。迷惑かけちゃったね、ごめん」
「それはいいんだけど、お母さんのことで落ち込んでたみたいだったよ」
「それは麻衣ちゃんに同情して欲しかっただけじゃないかな。自分の不幸話をするっていうのは、あいつがよく使う手なんだ」
「でもお母さんが亡くなったのは本当のことなんでしょう」
「本当だけど、ずいぶん前だよ。一周忌なんて嘘だよ。親父の愛人の一人でさ、銀座のホステスだったけど、亡くなって五、六年くらい経つかな」
「あんなのお墓じゃないって言ってた、へんなビルだって」
「ああ、マンションタイプの墓だからな。でも仕方ないさ、まさかうちの墓に入れるわけにはいかないし、本人の実家ってわけにもいかなかったみたいだしさ。文句言われても仕方ないんだけどな」
 わたしはちょっとためらいながらも、聞いてみた。
「なんで利奈とやってるの。一応、妹なんでしょ」
「別々に育ってるし母親も違うし、他人みたいなもんだよ。それにあいつの場合、あの通り淫乱だろ。誰かがやってやんないと大変なんだよ。だって、親父にも平気で迫るんだぜ。いちおうその前に堰き止めてるって感じだよ。そんなことになったら俺の母親が悲しむからさ」
その後、電車が無くなったので結局ホテルに行きセックスして、始発で解散した。またね、とは言ったものの、なんとなくもう清隆とは会わないような気がした。

 涼しい秋の風が吹くようになった頃、利奈から電話が来た。午後三時頃で、こんな時間の電話は珍しいな、と思った。
「麻衣ちゃん、久しぶり」
「久しぶり、元気?」
「元気だけど、今病院にいるの」
「どこか、悪いの?」
知ってはいたけれど、一応そう言ってみた。
「ごはんが食べられなかったんだけど、最近は大丈夫になってきたんだ。だから退院したいんだけど、まだダメだって。すごく退屈だよ。電話は自由にしていいってことになったから、かけてみたんだ」
「そう」
「また、してもいい?」
「いいよ」
「じゃあ、またかけるね。麻衣ちゃんて彼氏いたんだねえ。あのかっこいい彼氏にもよろしくね」
「あの人、彼氏じゃないよ。あ、でも褒めてたって言っておくよ」
「それとねえ、病院で、先生と話してたらいいこと聞いたんだ」
「何?」
「わたしが死んだらね、麻衣ちゃんの田舎に行けるかもって話。あのね、散骨って言って、死んだら山とか海に骨をばらまいてもらうのがあるんだって。わたし、お兄ちゃんにあそこに入れられちゃうのは嫌なんだ。ねえ、いいでしょ。わたし誰もいないところに行きたいの。ずっとそう思っていたの。麻衣ちゃん、わたしが死んだら、山にわたしのことばらまいてくれる?」
 困ったなと思いつつ、必死に頼み込む利奈を電話口で拒否することもできなかった。
「うん、いいよ」
「ありがとう麻衣ちゃん」
「でも、そんなことを考えるのは、もっと年を取ってからでもいいんじゃない。それよりも、生きている間に遊びにおいでよ」
「そうかもしれないけど、わたし怖くて」
「何が怖いの」
「あの人たち。わたし小学生の時、お父さんにレイプされたの。そのあと、お兄ちゃんも来てわたしのこと犯したの。それからずっとセックスしてるんだよ。でもね、慣れたら気持ちよくなって、今はどうでもいいんだけど」
 わたしは黙ってしまった。
「それでね、お母さんに死ねって言われて施設に入れられたの。本当だよ」
 利奈の声がどんどん小さくなる。
「本当なんだよ」
 電話は切れた。利奈からの電話はそれっきりだった。

 そのあと、わたしもちょっとおかしくなってしまった。食欲不振になり、鬱気味になってしまったのだ。順也の親戚に精神科の医師がいると聞き、会ってみると、もうその人たちには会わないように、と言われた。
「簡単に考えているのかもしれないですけど、心の病みたいなものも、うつるんですよ。風邪と一緒です。普通のお嬢さんではどうにもできないことですよ。とにかく、離れなさい」
 そばで聞いていた順也も口を出した。
「だから言っただろ。まず、携帯電話の番号を変えてしまえ」
 わたしはその医師に訊いてみた。
「どっちが本当のことを言ってるんですか。虚言癖って本当でしょうか。それだけ、気になってしまって」
「だからそれも考えないようにした方がいいですよ。確認しようがないわけですし、あなたには関係のない話ですから」
 わたしは黙ってしまうしかなかった。
 実際に、三人と縁を切ったような形になって半年後、食欲不振も鬱も治って、わたしは普通に戻った。

 大学を卒業して地元に帰ってきたのは自然な流れだった。大庄屋の一人娘として実家を継がなければならないのはわかっていたし、そこを押して世界に出て行くほどの歌の才能はわたしには無かった。順也は今のところヨーロッパで修行中で、たまにエアメールをくれるけれどそれだけだ。きっとそれもいつか途切れるだろう。

「そっちは涼しいんだろうな」
清隆が言った。
「東京に比べればそうだろうけど、それなりに暑いよ、こっちだって」
 そう。苔が枯れそうなくらいには。
 一瞬、沈黙が流れた。
「利奈のことなんだけどさ。先月、死んだんだ」
 そんなに驚かなかった。なんとなくだけれど、もしわざわざ連絡が来るとしたら、それくらいしか理由は無いように思った。
「そうなんだ。でもどうして」
「あいつ、実はひどい喘息持ちでさ。それなのに煙草は吸うし、あれからもずっと睡眠薬と精神安定剤がないと暮らせない状態で、病院を出たり入ったりしてたんだ。で、先月連絡が取れなかったもんだから、二週間ぶりくらいに行ってみたらもう死んでたんだ。夏だし匂いとかひどくてさ。参ったよ。いちおう不審死だから警察が来て病院でも死因を調べてくれたんだけど、どうやら喘息の発作が起きたときに睡眠薬を多く飲んでたらしくて。体が動かせなくて、喘息の薬が飲めなかったんじゃないかって言われたよ。最終的には心臓発作で死んだらしい」
 利奈が死んだと聞いた瞬間、自殺かもと思ったのだけれど、そうじゃなかったらしいと聞いて、逆に胸が痛んでしまった。
 利奈は最後呼吸が苦しくなったとき、睡眠薬のせいで上手く体が動かせず、喘息の薬を飲むことができないとわかって、どんなに怖かっただろう。
「そうなんだ」
「そうなんだよ。で、本題に入らせてもらんだけど。あのさ、迷惑だったらほんと、断ってもらっていいんだけど、利奈が前から俺に言ってたことがあるんだ。自分が死んだら誰もいない山に散骨してほしいって。麻衣ちゃんには話してある、って。そう、あいつは言ってたんだけど、あの通り虚言癖があるだろ、本気にしてなかったんだ。でも何度もしつこく言っててさ。だから確認したかったんだ。その話、本当かな? 携帯電話の番号を変えたのって俺たちのせいでしょ。それなのに、探してまで電話してすごく申し訳ないんだけどさ。ほんと、迷惑だったらぜんぜん、いいんだけど、確認だけしなきゃな、って思ったんだ。一応、あいつは血のつながった妹だからさ」

届いたのはけっこう大きな段ボール箱で、送り主は岩村清隆・千佳の連名だった。
自分の部屋に運び込み丁寧に箱を開けると、緩衝材が敷き詰められた中央に、くすんだ青緑色の小さな壺が入っていた。
まずは中身を確認しないといけない。息を止めてそうっと壺の蓋を開けてみた。
高さ二十センチほどの壺の中には、白に近い灰色の、砂状のものが入っていた。これくらいの量ということは、きっとすべてではないんだろう。
撒きに行くのは簡単なことだった。天気も良いので、すぐに行くことにした。電話をもらったときから、送られて来たらできるだけ早くそうしようと思っていたのだ。
さすがにひとりで行くのは寂しかったので、可愛がっているラブラドール犬を連れていった。小さなリュックにペットボトルのお茶と布で包んだ壺を入れ、出発した。
場所はすでに決めてあった。けもの道を奥に入った、ヤチダモの巨木の下。私有地なので遠慮はいらない。

 家に戻るとまだ三時過ぎだった。いつもはこの時間にはいないはずの父が家にいた。
「お前、スイカを切ってくれないか」
 わたしは背中からリュックを降ろし、空のペットボトルを捨てようと思って取り出すと、台所でスイカを切り始めた。
 すると少しして、父がわたしのところへ慌てた様子でやってきた。
「お前、あの壺はどうしたんだ」
一瞬、中身のことかと思った。でもそうではなさそうだった。
「どうしたんだ、買ってきたのか」
 意味がわからなかった。なぜわたしが壺など買わないといけないのか。そう答えると、じゃああれはどうしたんだ、としつこい。
 リュックが開いていたので、見られてしまったのだろう。とにかく散骨のことは黙っていたかった。
「今日、知り合いから送られてきたの。あの壺がどうしたっていうの」
「お前の話はよくわからないなあ」
 父は座敷に戻ると勝手に壺を取り出し、蓋をあけたり底を見たり、しげしげと眺めていた。スイカを持って行ってもそれどころではなくなったらしくさっぱり手をつけない。
「天龍寺青磁の本物に見えるんだがな、お前本当にそう聞いてないのか」
「何それ」
「お前は何もわかっていないからなあ。なんでこんなものが送られてくるんだ」
「ええと、お礼、かなあ」
「誰からだ」
「学生時代の友達です」
 父は顔を顰めると、
「これはちゃんと見てもらう必要がある」
と言い、壺を丁寧に布で包んでしまった。
 
 父が懇意にしている鑑定士が来たのは次の日の午前中だった。玄関に入ってくるなり、青磁は偽物が多いですからねえ、と笑っていた鑑定士は、あの壺を見るなり真顔になった。
結果、壺はナントカと言う中国の明朝時代のもので、本物であり、傷がなければ三百万、でもわずかな欠けがあったとのことで百二十万ほどだろうとのことだった。
その欠けはもしかしたら、今回送られてきたときについたか、またはわたしが山に行くのに持って歩いてついたのかもしれない。父にはとてもそんなことは言えないと思った。

 壺は資料館の展示品のひとつになった。記憶というのは面倒なものだ。朝な夕なに眺めるたびに、いろんなことが数珠つながりになって出てきてしまう。
父に、わかる範囲で由来を書いておけと言われているのだけれど、何から書いたらいいかさっぱりわからないので、結局わたしはずっとのらりくらりし続けている。
                                   おわり



去年、「せんだい文学塾」のテキスト用に書いた作品です。
自分ではそんなにエッチじゃないと思うんだけど、3P描写とか普通に入ってるので(ちょっと18禁)にしておきました。
お気に入りのテーマで、情景がはっきりしているので(自分の中では、)もう少し書き込めたかなと思うのですけど...。
なかなか難しく、今はこのままで、出しておきます。


                              
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